歴戦の勇者たち(投手部門)




85年〜86年 リッチ・ゲイル 右右  通算成績  60試合 18勝18敗0S 防御率4.42

シーズン前半は好・不調の波が激しく、完封か、3回ノックアウトかというような感じだったが、後半になり徐々に安定感が上昇。長身から投げ下ろすストレートで打者を苦しめた。日本シリーズでは胴上げ投手にもなっている。阪神の歴代投手助っ人の中では成功の部類に入るだろう。

   

87年〜90年 マット・キーオ 右右  通算成績  107試合 45勝44敗0S 防御率3.73

コントロールが良くゲールよりも安定感は上であった。それが4年も阪神に在籍できた要因であろう。トレードマークはりっぱなお髭。


93年〜98年  郭李建夫  右右  通算成績 167試合 27勝31敗19S  防御率 3.46

台湾ナショナルチームの銀メダル投手。速球とフォークが武器であった。先発・抑えの両方を経験。私は抑えとしての活躍のほうが印象深い。(ただコントロールが悪いのでいつもひやひやさせられたが。)しかし年を追うごとにぶくぶく太り、球威も落ちていった。そして99年台湾に戻りプロ野球を始めた。


98年  ダグ・クリーク  左左  通算成績 7試合0勝4敗0S 防御率5.65

1勝もできなかった男。印象もうすい。


97年  ベン・マクドナルド  左左   通算成績 9試合0勝1敗0S 防御率7.36 

左投手がほしいということでシーズン中に獲得。しかしこれといった長所もなくとんでもない防御率で解雇。名前でおもしろがられた。


98年〜99年  ダレル・メイ  左左   98年度成績 21試合4勝9敗 防御率 3.47

制球力がありまずまずの投球を見せた。打線の援護がなく負けてばかりであったが。99年の退場劇が印象に残っている。しかしそのあとにこの男がとった行為は許しがたいものであった。野村監督を批判する怪文書をばらまき、さらに2000年には宿敵巨人へ入団。あげくの果てに和田に威嚇投球をするなど。永久追放されてほしかったが罰も軽かった。全く納得がいかない。


98年〜99年  ベン・リベラ  右右   98年度成績 44試合2勝3敗27S 防御率 2.38

台湾で活躍していたのを見て抑えとして獲得。150キロのストレートがうりだったが、走者をおいての投球では失敗率100%近いというとんでもない小心者。それでも98年は抑えとしてなんとかがんばっていたが、99年は肘の故障もあり安定感を欠き途中で戦線離脱。同年オフに解雇された。





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