
シーズン前半は好・不調の波が激しく、完封か、3回ノックアウトかというような感じだったが、後半になり徐々に安定感が上昇。長身から投げ下ろすストレートで打者を苦しめた。日本シリーズでは胴上げ投手にもなっている。阪神の歴代投手助っ人の中では成功の部類に入るだろう。
コントロールが良くゲールよりも安定感は上であった。それが4年も阪神に在籍できた要因であろう。トレードマークはりっぱなお髭。
台湾ナショナルチームの銀メダル投手。速球とフォークが武器であった。先発・抑えの両方を経験。私は抑えとしての活躍のほうが印象深い。(ただコントロールが悪いのでいつもひやひやさせられたが。)しかし年を追うごとにぶくぶく太り、球威も落ちていった。そして99年台湾に戻りプロ野球を始めた。
1勝もできなかった男。印象もうすい。
左投手がほしいということでシーズン中に獲得。しかしこれといった長所もなくとんでもない防御率で解雇。名前でおもしろがられた。
制球力がありまずまずの投球を見せた。打線の援護がなく負けてばかりであったが。99年の退場劇が印象に残っている。しかしそのあとにこの男がとった行為は許しがたいものであった。野村監督を批判する怪文書をばらまき、さらに2000年には宿敵巨人へ入団。あげくの果てに和田に威嚇投球をするなど。永久追放されてほしかったが罰も軽かった。全く納得がいかない。
台湾で活躍していたのを見て抑えとして獲得。150キロのストレートがうりだったが、走者をおいての投球では失敗率100%近いというとんでもない小心者。それでも98年は抑えとしてなんとかがんばっていたが、99年は肘の故障もあり安定感を欠き途中で戦線離脱。同年オフに解雇された。
