歴戦の勇者たち(打者部門)




83年〜88年  ランディ・バース   通算成績 3割3分7厘 202本塁打 486打点。

神様、仏様、バース様。成績を見てもらえば分かるように球団史上最高の助っ人といって良いだろう。私は1985年にプロ野球を見始めたのだが、そのとき私は小学1年生。子供ながらにバースのすごさに驚嘆していたものだ。主なタイトルとして85年、86年の2年連続3冠王、最高出塁率。85年最多勝利打点者。85年最優秀選手。さらに85,86,87年と3年連続でベストナインに選ばれている。しかし最終年、子供の病気が原因で長期帰国。それがごたごたの原因となり解雇通告された。当時の私はバースはどうなるかが気にかかり毎日毎日新聞を見ていた。しかしまさか退団になろうとは・・




88年  ルパート・ジョーンズ  通算成績 2割5分4厘  8本塁打 27打点

バースの後にやってきたということでものすごく期待して見ていたが、まるっきりのはずれ。私が当時、友達とこの男について話すと決まって「来ていきなり3塁打打ったなあ。」という話になる。あとはハゲとか背番号00番とか。




89年  セシル・フィルダー  通算成績 3割2厘  38本塁打  81打点

「あいつは怪物や」と岡田をうめかせるほどの圧倒的なパワー。私が一番印象に残ってるのは大洋戦で1試合4本塁打を放ったことである。本塁打王は間違いないと思われていたが、自分で地面に投げつけたバットが跳ね返り自分の指を骨折したため本塁打王を逃した。この成績でなぜ帰ったかにはいろいろな説があるが、ヤクルトにいたパリッシュが良い成績を残したにもかかわらずあっさり解雇されるのを見て日本の球団におびえたとかいうのが有力である。




90年  ラリー・パリッシュ  通算成績 2割4分9厘  28本塁打  80打点 

ヤクルトで42本塁打放った長打力を買われて入団。しかし私はあまり印象がない。なんでもワニが好物だとか。



90年  リチャード・ウイッグス  通算成績、1割9分1厘 1本塁打  4打点。

こんな選手いたっけ?このころはあんまり弱すぎて阪神戦はあんまり見てなかったような・・まあ控えの選手として獲ったらしいですわ。



91年  マーベル・ウィン  通算成績 2割3分 13本塁打 44打点

この人も知らん・・おったような気もするが。年棒は1億4千万だとか。成績はディアーよりましだけど。


91年〜94年  トーマス・オマリー  通算成績  3割1分8厘  74本塁打  304打点

平成5年には首位打者を獲った。しかもドラッグバントで決めている。そのことからも分かるようにかなり器用な選手でヒットを打つ技術はバースとタメをはると解説者をうならせた。その器用さは守備でも発揮され、平成4年には3塁手としてゴールデングラブ賞も獲得している。平成4・5年・6年には3年連続最高出塁率者であった。しかし長打力がない、わがままで素行が悪いなどとなんくせをつけられ、94年に解雇。「阪神ファンは一番や!!」という名台詞を残したがヤクルトに移籍。阪神戦で打ちまくった。しかし「ヤクルトファンの応援ください」という台詞は阪神ファンを気遣ってのもののようにも思えた。(ヤクルトファンは一番とは言わないだけ偉い!!)




91年〜94年  ジェームス・パチョレック 通算成績  2割8分8厘  29本塁打  124打点

大洋のチーム構想から外れたところを獲得。大洋ではそれほどチャンスに強くなかったが阪神にきて一変。92年の前半は驚異的な得点圏打率を残した。その証明が92年の最多勝利打点賞である。さらに肩もなかなか強く外野手としてベストナイン賞に輝いている。そして1塁手としてゴールデングラブ賞も獲得。だが93年は持病もあり体力の限界を悟り引退を決意して帰国。まじめで走塁・守備・打撃とも常に一生懸命だったパチョレック。私の大好きな外国人選手の一人である。




94年  ロブ・ディアー 通算成績、 1割5分1厘  8本塁打  21打点

パワーがあるのは見て取れたが、変化球に対応できず、三振の山を築いた。横浜戦で負傷、そのまま退団することになる。一番印象に残ってるのは、浅いライトフライをダイビングキャッチしたシーン。なんとかチームに貢献したいという気持ちの表われだったのだろう。オマリーが自分のことのように喜んでいたのが忘れられない・・しかしオマリーもこの年で解雇されている。


95年、96年グレン・デービス 通算成績 2割5分2厘 28本塁打 95打点

大リーグ通算190本塁打の長距離砲。1年目の前半は期待に応えた。とにかく内角球のさばきかたがかなりうまく、これはいけるんちゃうか?と思わせた。とはいえ1年目も後半戦から失速・・2年目の6月10日に解雇通告された。印象に残ってるのはやはり2年目の5月1日にはなった代打サヨナラ満塁ホームラン!!これは外国人打者では初めての記録である。(日本人もふくめると史上10人目)ただこの男はすごい発言をして帰っている。「阪神ベンチは刑務所のようだ」と・・・それほど暗かったのか?それとも、首脳陣に問題でも・・






95年、96年スコット・クールボー  通算成績 2割6分 24本塁打 93打点

グレンとともに主軸を期待された男。1年目はグレンが活躍した前半はふるわなかったが、グレンが打たなくなった後半に調子をあげて、グレンより先に残留が決定した面白い男。巨体を生かした体当たりが印象に残っている。この男もグレンと同じく2年目に解雇された。




96年後半 ケウ゛ィン・マース  通算成績 2割4分5厘 8本塁打 42打点 

グレンの後釜としてシーズン途中に獲得。アメリカではナイスガイ賞をとったほどの男前。しかし打撃の方は極端なクラウチングスタイルにオープンスタンス。長打力もなく日本の投手に対応できずシーズン終了後もちろん解雇される。しかし打点は多く稼いだのが印象的。たしか高津からサヨナラヒットも打ったはず。かなり真面目そうな男でした。




96年後半 クレイグ・ワーシントン  通算成績 2割6分7厘 3本塁打 12打点

マースより先にヒットを放つなど最初はまずまずの活躍を見せたが、対巨人戦で死球を頭に食らってからは俺はほとんどこの男を見ていない。死んだんじゃねーだろうなと心配していたが、まあ無事帰国できてよかった。さらに本塁打を打ってることも俺は知らなかった。打率もまずまずか。打席数が75と少ないせいもあるが。しかしこれで「まずまず」とは・・阪神って一体・・・


97年 フィル・ハイアット   通算成績  2割4厘 11本塁打 30打点。

水中素振りで鍛えただけあってパワーはなかなかのものであった。ホームランも会心の当りよりもややつまり気味のものが多かった。優勝に全然関係無くなった後半戦で絶好調の時期もあった。(遅すぎ)しかしそれも一瞬で終わりあえなく帰国。



97年 マイク・グリーンウエル 通算成績  2割3分1厘 5打点 0本塁打。

御存知、国際詐欺師!!開幕直前に帰るなど、どうもうさんくさいやつだと思っていたら・・やはりという感じか。復帰しての広島戦で3塁打をはなつなど活躍したが、その後の巨人戦で自打球をあて骨折・・「これは野球を止めろいう神の御告げ」と言い放ちあっさり帰国。年棒はなんと3億4千5百万!!金をどぶに捨てたようなもんや。


97年 ダネル・コールズ   通算成績  2割8分4厘 28打点 7本塁打

中日がほっぽりだしたのをもうけものとばかりに獲得。打率だけを見ればここ10年ではトップクラス。しかし守備がどへた、長打力もないってことでお払い箱。



97年 ロバート・シークリスト  通算成績  1割9分2厘 4打点 0本塁打

上に挙げた外国人のふがいなさに業を煮やし、シーズン途中に獲得。東京ドームで代打デビューしてヒットを打ったが、俺はそのヒットをみて「あ、こいつだめや!!」と確信した。スイングがとんでもないアッパーでしかも距離もでない。さらにスイングしたあとバランスを崩すというお粗末さ・・成績が全てを物語っている。もちろん解雇された。


98年 デーブ・ハンセン  通算成績 2割5分3厘 55打点 11本塁打

絶対3割は打てるというシュアーな打撃を買われて入団。しかし前半戦はまるっきりだめで代打で使われることもしばしば。しかし後半戦の序盤はサヨナラホーマーを放つなど大活躍した。そのときのガッツポーズが印象的。だが後半戦も中盤にさしかかるとやはり、失速し、結局解雇された。しかし現在メジャーで代打本塁打の記録を作るなど大活躍しているようだ。やっぱアメリカ向きなんですね。


98年 アロンゾ・パウエル   通算成績 2割5分5厘 28打点 9本塁打

コールズ同様中日がほっぽりだしたところを獲得。首位打者をとった実績を買ったのだろうが、膝の故障により全く活躍できずに解雇された。


98年 デシー・ウイルソン  通算成績 1割6分7厘 3打点 0本塁打

え?日ハムからきたの?てわけではもちろんなくて、質より量でよっさんが獲得した外国人の一人。当然活躍できるわけがなく、ご覧のとおりの成績。長い手足がネックとなった。


99年 マイク・ブロワーズ  通算成績 2割5分1厘 43打点 10本塁打

「4番の風格がある。」とノムさんに言わせた男。しかし極端にベースからはなれるために外角球に非常に苦しんだ。なかなかその弱点が克服できず、さらにエラーも多かったので、フロントが「走・攻・守」とも1軍レベルに達していないと判断。8月に解雇された。ブロワーズの帰国後、ジョンソンの打撃成績はみるみる落ちていった。真実はわからないがブロワーズの帰国がこたえたのではないかと思う。




99年 マーク・ジョンソン  通算成績  2割5分5厘  60打点 20本塁打

阪神ファンに夢と希望を与えてくれた男。バース再来か?とまで言われるほどの活躍で99年前半戦阪神首位の原動力となった。豪快なスイングから放たれるホームランにファンは酔いしれた。7/8、代打逆転サヨナラ3ランという離れ技もやってのけた。しかしブロワーズが途中解雇されると同時にジョンソンのバットからも快音がきかれなくなった。それでも20本塁打はグレン・クールボー以来の快挙。なにより気迫と闘志がすごかった。すべての阪神解説者がジョンソンは残すべきだと主張したが、外野が守れない、大豊が調子がいいのでファーストはいらん、ってことで解雇されてしまった。現在の大豊(平成12年5月〜6月:打率1割台)をみてジョンソン解雇を嘆くファンは多い。




2000年 ハワード・バトル  通算成績  2割2分7厘  1打点  1本塁打

一時は「バトルが出れば負けない」という不敗神話まで作り上げたが、元々力がなかったのか、それとも調子がでなかったのか分からないが目立った活躍もできず早々と解雇されてしまった。4番としての活躍を期待されていたが無死1塁のケースでは送りバントを命じられるなどパワー不足が目立った。またスローイングにも難があり、エラーも多かった。




2000年 トニー・タラスコ  通算成績  2割3分9厘  57打点  19本塁打

ヤンキースでプレイしただけあって芯で捉えたときはすさまじいライナーがうなりをあげた。が、変化球に極端に弱くスイングも高めだろうが低めだろうがとにかくたたくというような打撃でボールを切ってしまうことが多くミート率が極端に低かった。さらに日米間のストライクゾーンの差異に最後まで苦しみ審判にクレームをつけるシーンも目立った。




2000年 ジェイソン・ハートキー  通算成績  2割7分2厘  27打点  4本塁打

シーズン途中で参戦し序盤は勝負強い打撃をみせお立ち台にもよく上った。とにかくまじめな選手で1つ1つのプレーに好感がもてた。ただ長打力がなく守備の面でも本職はセカンドだがチーム事情からサードを守ることになったためエラーが多くなった。フランクリンの加入の影響で2軍におちることもあった。しかし最後までくさらずによくがんばった。この成績もハートキーの精一杯の数字だろう。しかし野村監督に「力不足」と断言され解雇されてしまった。




2000年 マイカ・フランクリン  通算成績  1割7分2厘  6打点  2本塁打

貧打に喝をいれるため急遽日ハムから金銭トレードで獲得。すさまじいフルスイングは観客の度肝を抜き1号2号とも「これぞ外国人パワー!」という当たりだった。しかし骨折が再発しそっこーで2軍落ち。たった8試合に出たにとどまった。全くなんやったんやこの男・・





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